『私の家族構成2』

 帰省ラッシュの報道がニュースで流れるこの季節、私は東京で暮らし始めて12年、
毎年何故か息苦しいような想いをして過ごしてきました。
しかし今年、お盆の時期ではないものの、お店の定休日を利用して帰省することにしました。
ところがそのことを両親に知らせるやいなや、家族五人で地元の温泉に旅行に行こうと言い始めたのです。
今さら三十歳を過ぎた子供三人と一緒に…と思っては見るものの、
二十年以上ぶりに行く家族旅行に、嬉しいような、恥ずかしいような、複雑な気持ちになりました。
どうやら最近、この暑さだという訳じゃないのでしょうが、
両親の親族や知人が何名かお亡くなりになったらしく、自分の歳を感じ、気落ちしているらしいのです。
そのことを姉から聞くと、これも両親を元気付ける良い機会だと思いました。
しかし温泉とはいっても、私は、父とも母とも一緒に湯船に入ったり、
背中を流してあげることも、とても困難だと思うのですが、
「どうしようかしら」と多少の不安を残しながらも、楽しみにしている次第です。
 家族旅行が出来るようになるまで、十二年という月日がかかりました。
その間の三人兄弟といえば、兄は、大学を卒業し、留学するとアメリカに渡り、
結局アメリカの大学にも入れず、帰国した時は、ラスベガスで遊びほうけて作った借金だけでした。
そして、結婚、また地元の大学院に行き、卒業、跡取り息子という前提だったはずなのに、
自分のやりたい仕事をし、会社を興したそうです。また昨年に再婚をし、一児の父となりました。
父の資産を思いのほか食い潰し生活する兄は、決して悪気はないとはいっても、
私には「跡取り息子詐欺」と言っていいほどいい加減に見えました。
いくら出来の悪い子ほど可愛いとはいうものの、それはとても両親が可哀想に思えるくらいでした。
勝気な姉は、両親の勧める縁談を全て断り続け、
三十三歳になる今日まで独身で、自立して生活しているらしいです。
私はといえば、両親の面倒を一切見ない代わりに、お金も一銭ももらわないと、
粋がって生活してきました。しかし、お店を持つにあたり、保証人の問題が生じたのです。
保証人は両親じゃなくても良いという先方様の気遣いもあったにも関わらず、
私は何故か、父に電話をしたのです。あんなに両親に関わりたくないと思っていたはずなのに…。
私は誰でも良いという保証人を、父がちゃんとなってくれるかどうか、
自分自身に対して賭けのようなものをしたのです。そして父は、
私の頼みを快く引き受けてくれました。この賭けの勝ち負けは、
どっちがどっちか未だ自分にも分からないまでも、深く歪んだ二人の親子の関係を、
少し修正してくれたのは事実でした。保証人にサインをし、印を押してくれた日のこと、
上京し、お店に遊びに来てくれた日のこと、私のショーを初めて見てくれた日のことは、
次回に書くとして、私もやはり、両親の子供として愛されてるということをやっと分かり始めました。
以前は、兄があんなに父の資産を食い潰さなければ、私が一軒のお店を立ち上げるくらいの予算は、
貸してくれただろうにとも思いました。しかし、よくよく考えてみると、
私がゲイとして好きこのんでこの世に生まれてきたわけでもなく、それと一緒で、
兄が好きでこの家族の跡取り息子という、長男で生まれてきたわけでもないのだから、
しょうがないことだと思ったのです。私がゲイということを悩んだように、
兄も長男であることを悩んだに違いないし、どうしようもないことはこの世にたくさんあって、
そのことを、一々ディスカッションするのは、到底大人げない言動につながると思うのです。
だから、どうにでもなる両親から頂いた大切な生命を、自分らしく、自分の力で、
そして周りの人に助けられながらも生き抜くことが大切だと思い始めました。
当たり前のことが、少しづつ解ってくるというのは、
今まで無鉄砲に過ごしてきた私にとって不思議な感覚のようです。
でも、それを何も恥ずかしがることなくちゃんと受け止めていこうと思います。
 帰省する際、両親や兄弟に何をおみやげに買っていこうかと考えたり、
旅行には何を着ていこうかしらと思ったりして、
夏休みの家族旅行を楽しみにしていた幼い頃に戻ったような今日この頃です。


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