『私の家族構成1』

たまたま、まっすぐ家路についたある日、深夜2時を過ぎているというのに、
ある女性タレントがインターネットで知り合った、北海道の名も知れぬ街の、
ある家族の家にホームステイするドキュメントを放映していた。
そこには、なにげに付けたチャンネルに見入っていく私がいた。
両親と五人の子供たちの七人家族という構成の中にその女性タレントがうちとけていく、
そのコミュニケーションの取りかたは、人の家庭を盗み見するようなものと、
『北の国から』のドラマを見てた時のような、とてもアットホームな、
ホットな気持ちが微妙に入り混じっていた。
ふと番組終了の時には、深夜の、只独りの部屋に涙声を殺す私がいた。

私は、恥ずかしい話かもしれないが三十歳というこの年になるまで、
両親の愛など正直言って、感じたことなどほとんどなかった。
特別に両親と仲が悪かったとか、幼い時に虐待を受けた経験があるといった理由は、
何一つないのだが、私は両親や兄姉に『愛されている』と感じたことが今までなかった。

九州で生まれた私の家族構成は、両親と兄姉と私といった五人家族だ。
父が、田舎とはいっても小さな会社を経営してたせいか、いわゆる普通の中流階級より、
少し自由になるお金があるぐらいの暮らしぶりだった。
私と兄は五つ違い、姉とは三つ違いだった。九州という土地柄かどうかはさておき、
私の家族の場合、長男の兄は特別な存在だった。それは男一代で会社を起こした父にとって、
兄は大切な跡取り息子だったからだ。
そのせいか、私には、両親が兄をとても過保護に、壊れ物を扱うように大切に、扱われてるように思えていた。
また、私との扱いの違いに、戸惑うばかりの幼児期を過ごしてきた。姉は姉で、
父が経営している会社の取引先や、父の名声を高める所に嫁に出すためにお嬢様に育てたかった両親は、
中学から短大まで、ミッション系の女学院に行かされていた。
勝気だった姉は、自分が利用されてる事を、うすうす感じていたせいか、
よく両親に反発していた。次男坊の私はと言えば、何をしようと両親に興味を示されず、
今考えてみると、生まれつきゲイの私にとって、好都合で、好き勝手に過ごすことが出来た。
運動神経の固まりみたいな兄に、両親は陸上をすすめ、兄は中学から大学まで、体育会系で頑張っていた。両親の熱の入れようは半端じゃなく、兄が足を故障したり、怪我をしようものなら、
どんなに遠い所でも、良い鍼灸師がいるとか、良い整体師がいると聞きつけては、完治するまで車で送り迎えをしていた。中学の全国大会や、高校のインターハイなどは、
マイクロバスを貸しきり、親戚縁者や父の会社の社員の方までも乗せられ、
応援に行く有様だった。しかし、いくら私が、絵の全国コンクールで特選に選ばれようと、
作文コンクールで全国で佳作を取ろうと、両親はあまり喜んでくれてないように思えて、
さみしい思いをしたことが多々あった。この話をした母子家庭のゲイの友達は、
『父がいるだけマシよ!』と言っていたが、私にとっては、
父親が実在するのに、愛を感じられない私にとって、これほどつらいものはないと思っていた。
でも、やっぱり、父がいてくれて良かったと思えることが、最近よく感じられる出来事がある。
その事は、前回に書いたが、あのテレビのドキュメンタリーを見たからというわけじゃないけれど
本当に家族っていいなぁと思う事ができるようになってきた。
そして、やはり、私を育んでくれた両親への感謝の気持ちは、
最近本当に深く、少しずつでも、この気持ちを伝えていきたいと思う。
なぜならそれは、やっぱり私も両親の子供としてちゃんと愛されてきたと思えるようになってきたからだ。
それは年をとったせいかもしれないが、この半年
私の家族にとって色々な事が起こったせいであったというか、
久し振りに家族とのコミュニケーションをとったことからはじまる……。


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