「父と乳を入れた息子」

 私は典型的なファザコンです。
[今度生まれ変われるとしたら、何になりたい?」という質問をかけられるとしたら、
間違いなく「父のお嫁さんになりたい」と答えるでしょう。
 九州の次男坊として生まれた私は、兄とキャッチボールをする父や、
兄を叱り付ける父の姿を見ながら育ちました。
父とは直接的にコミニケーションを取る機会が少なかったせいか、
私にとって父は、一番遠くに感じる存在でした。
そんな父は仕事の愚痴など家庭には持ち込まず、
ましてやお酒に酔ってくだを巻くことなど一度もない男でした。
いわゆる世間でいわれる九州男児というのは父みたいな
男をいうのだ、と幼い頃から思ってました。

 私がニューハーフになり生活していることが父にバレた時、
私はものすごく怒られると思ったのですが、父から出た言葉は
「今はいいけど、年を取ったらどうするんだ……」
と言われるだけでした。
そんな父と今の姿でちゃんと再会したのは、昨年の暮れのことです。
私がお店を持つにあたり保証人になってくれる父は、
東京出張の際に手続きをしてくれたのです。
東京駅の近くで、中野在住の叔父さんと昼食をとっていたところに私は呼ばれたのですが、
場所がわからないので父の携帯に電話をしました。
東京の地理がわからない父は、上手く説明できず、そこの店員さんに、
 「お姉さん、今からうちの息子来るけん、場所ば、悪かばってん教えてくれんね」
と言う声が聞こえるや否や、そこの女子店員の丁寧な説明は始まりました。
私は息子と言われた以上、男っぽくしなければいけないと思い、
精一杯男らしく返事をし、対応しました。
その場は声だけだったのでしのげたものの、
息子が来るはずが女の格好の私がそこに行っていいものかどうか、
ましてや中学生の時以来会ったことのない叔父さんもびっくりするんじやないかと、
私は戸惑い躊躇しながらも、そこのお店にたどり着きました。
叔父さんは変わり果てた私の姿にびっくりし、
「あんた、前は男やったやろ?」といきなり質問するのです。
私も「はいそうです」と言うしか答えはなく、
お決まりの再会の挨拶など何一つ無いまま、言葉を失った叔父さんは、
 「お父さんとも久しぶりに会うとだろけん、おいちゃんはここら辺で失礼するけん。
 ゆっくりお父さんと話さんね」
と私に言い、父には、
 「兄貴、俺は帰るけん、また連絡するけんで、元気でな」
と言い残すと、お化けでも見た後みたいに、慌てて帰っていきました。
そして、少し老けた父と、乳を入れた息子だけになりました。
父は、フルメイクをしている私と対面するのは初めてなのに、
何の戸惑いもない素振りで、お店の経営方針や、
売り上げ目標など、自然に話を聞いてくれ、
一通り契約書に目を通すと、実印を出し印をしてくれたのです。
父はまるで私を哀れむかごとく、とても優しく娘のように接してくれました。
それからというものの、しばらく父の東京出張はなぜか増え、
必ずといっていいほどうちの店にやってきて、乳を入れた息子のショーを見ては
不思議と嬉しそうに帰っていきました。
一度九州の方々を、自分の息子がやっているお店とは言わずに
四、五人連れてきたとき、ある一人が
 「こげん、気持ちん悪か、男か女かわからんごだるお店で飲むやったら
 おなごん子のいっぱいおる店にはよう行きましょ」
と父に言ったのです。
父は困惑しながらも
 「そげんこと言わんで、東京のよか思い出になるけんが、
 ショーば見たらまた考えが変わるけんが、よか土産話になるけんが・・・」
と言ってくれたのです。

 私はいたたまれなくなり、トイレに駆け込み、父の優しさに思い切り泣いてしまいました。
ショーが終わると案の定、一番嫌がってた人が、とても喜んで帰ってくれました。
私はますます父のことが好きになりました。
よくよく考えてみると、化粧をしている私は若かりし頃の母にそっくりで、
父が私に優しくしてくれるのはそのせいかしらと、
とても前向きに考える私がいました。

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